亀山社中は、慶応元年閏5月(1865)坂本龍馬(31歳)とその同志により結成され、薩摩藩から1人1ヶ月3両2分の給料をもらい、海運業、通商、商業活動の他に、薩長同盟など倒幕運動にも参画し、地元長崎からは、豪商小曽根家が支援をします。
社中のメンバーは、気が荒く、酒好きの者が多く、無類漢として見られた一面もあり、彼らを見かけた人は、「亀山の白袴が来た!」と言って道をあけたそうです。
亀山社中(1年11カ月の期間)を結成し、暗殺されるまで2年6ヶ月前の事です。
亀山焼は、当初オランダ人に売る水がめを作っていましたが、需要が途絶え1811年から天草陶石を使って磁器の生産を手掛け、長崎奉行等の援助の時期もありましが、経営不振になり、慶応元年1月に廃窯になります。その宿泊施設等の関連施設があった場所に組織されたと言われています。長崎市は、ここにあった建物を所有者の協力を得て復元整備し、「長崎市亀山社中記念館」(同市伊良林2丁目)として、オープン以来、入館者増え続けています。1ヶ月平均1万4千人になります。柱等が当時のものだと言われ、1時間以上も待つこともあります。入館料は大人300円、高校生200円、小中学生150円。年中無休9時から17時開館です。
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