2013年7月9日火曜日

小説「印傳極楽金魚」

打ち上げの席にはプロデューサーやディレクターがいつもはいるのだが、大体はプロデューサーとディレクターのストレス解消の場所となり、仕事で散々こき使われた末に更に打ち上げでもアシスタントが罵倒の標的になる。
昨日はADたちだけだったので愚痴三昧となり、傷の舐め合いで終わった。腹いせにテレビ局のタクシー券を使ってみんなで回って帰宅した。それくらいは、大目に見てくれるだろうと酒に酔った甘い考えだ。
金魚鉢に眼をやる、出目金が悠々と泳いでいるはずだった。ケイスケはかすみがかった眼をこすりながら、金魚鉢のほうに這って近づいた。
「あれ、どうしたんだろう。出目金のやつ仰向けになって水面に白い腹を出してる。あれ、死んじゃったかなー。えさもやってないし、空気ポンプは・・・電源入れてなかったかなー。やばいな。かわいそうに。三万もしたのに。こいつのせいで毎月ギャラを引かれるというのに。独身者の癒しの道具にしようと思っていたのに、しかしかわいそうなことしてしまった。あーあー。かわいそうなことしてしまった。」ケイスケは出目金のひっくり返った大目玉を下から覗き込んだ。
「あれ、金魚に目蓋があったっけ。眼をつぶって眠っているようなカンジ。変な金魚だな。でも金魚にマブタはないよなー。聞いたことないよなー。俺の脳みそ酒でイカレタかな。まだ幻影を見ているのかしら。れれれれれー。放尿して起きるか。」ケイスケはトイレに行ってション便してきてまた金魚鉢を覗き込んだ。金魚はそのままだった。
「腹減ったな。コンビニ弁当でも買ってきて、食べるか。」ケイスケはジャージ姿で近くのコンビニまで行って、海苔弁当を買ってきて、食っている。
「やっぱ、海苔弁はシンプルで手頃だし、いいよな。最近のロケ弁当はなぜか豪勢になって、タレントもわがままにどこそこのロケ弁当がいいなんて、言いたい放題だよな。数年前までは安い弁当を多めに取って、余ったやつをADがもらって来れたのに。その上ロケ弁当費用が結局打ち上げ費用に影響してきて、最近の打ち上げもせこくなってしまったよな。あーあ。海苔弁最高。」食べながら金魚鉢に眼をやる。
「すまんな。出目金さんよ。死ぬ前にたらふくえさを食べさせてやればよかったな。オッパイぱんぱんのセレブ姉妹にでももらえれば、豪勢な生活が送られたのにな。パイパイ姉妹もお笑いタレントにおちょくられて、ニコニコしていたけど相当頭にきてたんじゃないかな。“きれいな出目金ちゃんね、もらって帰ろうかしら”なんて話も出なかったものな。人生なんて、一瞬にして天国と地獄が選択されるんだよなー。ツイテなかったよな出目ちゃんよ。」
「そうともいえんぞなもし。青年。狙い通りのとこに来たのさ、バッテン。」ケイスケのアルコール漬けの鼓膜に、また幻聴が走った。
「???あーあ。またなんか聞こえた。もう少し寝てから、夕方会社に行って、テープの整理でもするか。今日はゆっくり行こう。」
「こら、青年。ゆっくりしている暇ないぞ。そろそろ方針を立てなきゃいかんタイ。」ケイスケは再び背筋がぞくっとして、金魚をみた。仰向けに死んでいるのは変わりなかった。おそるおそる近づいて、下からマブタのある大目玉を覗き込んだ。
「優しい声をかけたが、あまりお前が起きんかったから、わても寝てしもうたがや、だら。やっと起きなさったか。ボケナス青年。」と聞こえたかと思ったら、マブタがだらっと開いて、ケイスケを凝視する。ごろりとひっくり返って、ヒラヒラと優雅にヒレが舞った。
「ななな、なんじゃこりゃ。」ケイスケはもんどりうって後頭部を簡易ベッドの鉄柱にぶち当ててしまった。
「なんじゃこりゃじゃなかバッテン。おまん、やっと起きたとね。脳足りんの頭は大丈夫ね。したたかにうっちゃったのね。驚かんでもよかっちゃ。おぬしの愛する出目金ちゃんタイ。」ケイスケは頭を自分の手のひらで数回叩いて眼をこすった。
「そぎゃん、頭叩いたら、ますます脳足りんになっちゃう、でしょうが。ま、落ち着かんね。現実を直視せよ。」ケイスケは金魚鉢に近づいて、じっと出目金を見る。
「はあー、はあー、はあー、何なのこれは。」
「そう驚かんでもヨカ。」
「驚くとかレベルじゃなくて、どういうことなの。やっぱ、俺だめになってしまったのかな。麻薬中毒でもないのに、なんでこんなにはっきり幻覚がみえるのかな。おれは廃人になってしまった。」
「廃人も同様タイ。今のおまんは、俳人やったらよかったのう。」
「ななな、なんだ。あんたは何だ。」
「見てのとおり出目金じゃけんのう。優美な雅なランチョウですがな。現実を直視せよ。イナトミケイスケ青年。」ケイスケは後ずさりして、金魚にガンつけた。
「安心せい。ワテはな、おぬしを救いに来たんじゃ。救世主タイ。エンジェルぞ。君にとって。だから心静かに受け入れなさい。現実を。神はあなたのすべての不幸を背負ってくださっている。」
「どういうことなんじゃ。ぎょ、し、しまった。口振りが似てしまった。どういうことなの。これは。」
「礼儀じゃな。まず、挨拶せにゃ、いけませんなー、どすえ。」
「おいでやす。じゃなかった。なんてこったい口振りが・・・あああ、どうにかしてくれ。どうかしてしまった。」
「主様をどうにかするために、わしはここに来たんじゃ。どげんもこげんもならんやつをどげんかせんといかんと、大御神に使命を受けてな、ミッションインパッセブルではなく、ミッションパッシブルで来たんじゃ。気を楽にせよ。今からワテの事情を話してやるケン。お気を確かにお殿様。」
「どうでもいいけど、そのしゃべり、口調はどうにかならないのでしょうか。あーあ、なんかおかしくなってしまった。」ケイスケはやけくそ居直って落ち着き始めた。
「死んでなかったの。あんた。」
「だから、おぬしがなかなか起きんかったから、わしも寝てしもうたと言ったじゃけんのー。」
「そう。でも一安心。死んでなくてよかった。何にもまして死というのは、最大の不幸だよね。」
「その心優しさが、わしは好きじゃ。やっとおまんを愛せるようになってきた。じゃが、その優しさがおぬしの人生をちょっとだけ淋しくしとるかも知れんな。でも最後はその心優しさが勝利するんじゃ。安心せい。」
「気持ち悪、愛してくれなくて結構ですよ。でも僕の人生がどうのこうのって、なんかおこがましくない。ほんとにあんた誰。」
「よう聞きなはれよ、理解力のないその耳かっぽじいて、聞きなはれ。安心せよ、鼓膜も腐っとらんでよ。聞きなはれ、聞かんカイ。」
「どうにかなりませんか、そのしゃべり。どこの方言なんだよ。いちいち耳障り、思考停止。でも僕の思ったことわかるの。」

「我が名は、“印傳極楽毘沙門”インデン・ゴクラク・ビシャモンという高貴な名を大御神からさずかっとる。今回は大目玉の金魚を身にまとっておるから“印傳・極楽金魚・毘沙門”と名のることになりますね。」

2013年7月6日土曜日

いつか曲がつかないかと思いを馳せて!

「長崎」

東京に来て30
私は、なにをするためにここに来たのか
なにを残せたか
私は、思う
長崎の夏をわすれたか
熱き鶴の港に照り返す光を
風ふく坂道にながれる雨のすずしさを

このあつ寒い街、季節を知らない東京の狭間で
私の求めた思いは通じたか
私は思う
長崎の秋を思い出せ
絶壁に広がる紅葉の赤を
まつりに沸く人々の笑顔を

父は死に、母がひとり今生きている
忘れるほどの街なのか
雪が降り、風が舞う
長崎の冬を忘れたか
私は思う
路面電車の重い車輪の転がりを
堅く大きく生きた父を
明日に向かう夕日の重さを

長崎のあの春を忘れたか
あの青春の秘めた思いを忘れたか

長崎のあの春を忘れたか
あの青春の秘めた思いを忘れたか

長崎のあの春を忘れたか

あの青春の秘めた思いを忘れたか

小説「印傳極楽金魚」

一、君の未来は明るい
「おい、そこのボケ。はよ、起きんかい。二日酔いで寝てる場合じゃないじゃろが。こら、はよ、起きろ。チョンボ野郎、とんま、のろま、人生の落伍者、人間失格者。ドンくさいやっちゃな、そろそろ起きて、生き様を考えんと、どうしようもならんぞなもし。とろくさいやっちゃのー。」
 ケイスケは鉄のお盆で頭をごんごん殴られているような衝撃の中、怒鳴り声を聞いていた。というよりこれは幻聴だ、夢の中だと思わざるを得なかった。思いたかった。幻視の中では金魚鉢の中の出目金が叫んでいるのだった。確かにケイスケは撮影の小道具で昨日使った金魚鉢と出目金一匹を自宅に持ち帰っていた。
「こら、ボケナス。これを夢の中だとおもうとるんと、ちゃうやろな。現実やぞ。お前はもう崖っぷちの人生なんですよ。武士語言えば切羽つまっとる、いうねん。わかっとるんか。なすボケ、間違うたぼけナス。」
 テレビのバラエティ番組で使う小道具として、出目金を用意することになった。めちゃめちゃ眼がでかくて、飛び出していて、豪華で煌びやかなヒレをなびかせて、腰が締まっためちゃめちゃボディコンの出目金を用意せよとアシスタントディレクターのイナトミケイスケに指令が出された。“さてこの金魚はタレントの誰に似ているでしょうか。”というコーナーが作られ、お笑いタレント総勢がだれそれと答えて笑いを取る新コーナーらしい。
 ケイスケは早速、インターネットで情報を得て、金魚屋で買い求めてきた。監督のイメージどおりの金魚は三万円ほどした。あまりにもイメージどおりだったので、プロデューサーの意向も聞かずに請求書扱いで購入したのだ。
 持ち帰ってスタジオで監督とプロデューサーに見せたら、監督はイメージどおりだったので何も言わなかったが、スタジオの隅にプロデューサーにしょっ引かれて、金魚の目玉よりも大きな大目玉で怒鳴られた。
「ばかやろう。お前、この制作費いくらか知ってんのか。ワンコーナーの小道具で三万も使えると思ってんのか。レンタルしてくるのが普通だろう。ボケカス。相変わらず出目金野郎?間違えた“仕事できんやつだ”お前のギャラから引いとくからな。」
「そんな、三万もギャラから引かれたら生活費ほとんどないじゃないですか。」
「馬鹿、一発じゃ引かんよ。毎月一万づつ、三回でな。」
「そんな、殺生な。」
「終わったら、お前持ち帰るなりどうにかしろよ。」とプロデューサーは捨てゼリフを言って、まさか買ってくるなんてとぶつくさいいながら、去っていった。
 本番では、見た目そのままのタレントの名前が出た。大きな目玉をおっぱいに例えて、煌びやかさも似て、こんなにオッパイってパンパンに腫れ上がるのかと思うくらいのオッパイを張り出した謎の爆乳セレブタレント姉妹がターゲットにされ、それなりに笑いをとった。プロデューサーとディレクターの狙い通りにはなったようだけど。
その金魚鉢とその中に出目金がケイスケの部屋に居座っているのだった。ひどい二日酔いで金魚の目と同じように腫れぼったい眼をしたケイスケは、幻影の中に叫ぶ出目金を見ていた。“叫ぶ詩人の会”は知っているけど、叫ぶ出目金は知らない。
「あーあ。飲みすぎで頭完全にイカレてしまった。」ケイスケはよろよろと立ち上げり、冷蔵庫にあるミネラルウォーターを探したが、昨日コンビニで買ってきたはずのボトルは見当たらなかった。水道水を飲んだ。
「不思議と東京の水はうまいよな。海外に行ったら水道水を飲むなんて、相当腹痛を覚悟しなければならないよな。」と一人ごちながら、簡易ベッドに戻って横になった。
病院をロケセットに使うドラマのロケをしたときに、捨てるという病室の簡易ベッドをもらってきたやつだ。ロケ中美術セットのセッティング待ち時間の雑談の中で
「自分は独身アパート住まいでベッドがないのだけど、こういうサイズのベッドは独身者にはちょうど良いですね。」などと話していたら、ロケ終了後プロデューサーが
「おい、イナトミ。このベッド、捨てるらしいからもらって帰って良いらしいぞ。」とお達しがありもらってきたやつだ。それは制作費で処分する予算がかからなくて渡りに船だとプロデューサーのせこい考えのはずだ。
終了後仲間に手伝ってもらって分解し、帰りのロケ車で自分のうちまで一回りしてもらって手に入れたやつだった。
誰かがこのベッドの上でご臨終なさったベッドかもしれなかった。幻影や幻聴が聞こえるのは、その崇りかもしれないと思いながら恐る恐る金魚鉢に眼をやった。

昨日のロケ終了後AD仲間とともに水が漏れないように蓋をして金魚鉢抱えながら飲み屋に直行した。最終日ロケが終了すると、とりあえず翌日はオフになる。必ずといってよいほど打ち上げ、反省会と称して飲みに行く。昨日は珍しくプロデューサーも監督ディレクター陣は別のタレントとのパーティがあるからといって参加せず、ADだけの打ち上げになった。

2013年7月5日金曜日

長崎の風からの伝言!⑦こんなイベントもある。

23回長崎ウーマンズ・ウォークラリーがあります。今回は男性も参加OK。
毎年1,000人参加する23年目の街歩きのイベントでず。今年は2,000人の予定です。
今年は長崎市内にある龍馬ゆかりの場所13箇所を4時間かけて歩きポイント毎に問題があり、それを解きながら歩きます。龍馬ゆかりの場所に長崎さるくガイドがおります。
参加賞や景品も多数用意しています。振るってご参加ください!
“龍馬になった気分で長崎を歩きましょう!”
ポスターの龍馬の写真は、慶応2年長崎の上野撮影局で撮影されたものです。

■開催日時:11/3(火・祝)8:30受付開始 10:00スタート
■集合場所:常盤町・水辺の森公園
■参 料:大人/前売¥500(当日¥700
◎主 催:長崎ウーマンズ・ウォークラリー実行委員会

◎お問合せ:エフエム長崎095-828-2020 長崎ウーマンズ・ウォークラリー係

2013年7月4日木曜日

「カサノヴァ探偵局」序章③

二件目のバー“箱”に入って同じようにバーボンソーダをオーダーした時、携帯電話に
着信があった。
アシスタントディレクター、ADの美津島からだった。出ようとしたが面倒くさく思い、イキナリ切った。申し訳ないと思ったが。
「箱」には数年前から通っている。バーテンは今言うイケメンで、また逞しくハーレイダビットソンを乗り回すハードライダーだ。二杯目をバーテンにオーダーした時、再び着信があった。暫らくバイブレーションを感じた後、携帯は留守番電話に切り替わった。
また美津島からだろう。どうせ暇になったから酒でも飲ましてください、くらいの話だろう。あいつも酒癖悪いからな・・・飲ませろ、女のいるところに行きましょうよなどとうるさいはずだ。と思いながらほっておいた。

そのハードライダーのバーテンとは、世の中にはどれくらいのお金が存在するのだろうか、とか金にまつわる話をしていた。
1万円が1万個あれば1億だよな。1億が1万個あれば1兆だよな。1兆が1万個あって1京か、1京が1万個あって、その次の単位ってなんだっけ。」
「ガイっていうのでは・・・」
「その上は不可思議、摩訶不思議だったっけな。どうでもいいか、宇宙に飛んでけという感じだな。とにかく俺たちにはなぜかでかい金が回ってこないことだけは確かだな。」
「数十億手にしても、どうすればいいかわからないでしょう。僕たちは汗水流して普通に生活できればいいですよ。小市民で。」
「そうだけど、金があれば事業投資とか財テクとかできるだろう。金が金を生むようになるのさ。好きなことできるじゃないか。遊んで暮らせる。眠り口銭で暮らすのさ。」
「事業や財テクで失敗しなければね。あまり金持っていても毎日落ち着かないらしいですよ。周りのものが皆強盗に見えてきて、夜も眠れないらしいですよ。銀行に預けていても潰れることもあるじゃないですか。銀行が潰れるなんて考えなかったでしょう。それとも現金や金の延べ棒で持っていても金庫に入れて毎日金庫番ですか。それとも自分ちの裏庭にでも埋めときますか。シェルターの地下室でも作ってセキュリティ完璧にして保管しておきますか。大変ですね。」
「そりゃ、金を手にしてから考えますか。」

2013年6月27日木曜日

大河ドラマのポスター

次期NHK大河ドラマ「龍馬伝」(来年1月3日スタート)のポスターが先月、初披露されました。このポスターを見たい方は各NHK放送局・市町村・各金融機関に掲示されています。ポスターの裏には、ナンバリングが印刷されています。
<ポスターのコンセプト>
坂本龍馬には多くの人に知られる有名な写真があります。そのイメージを崩さないように、本物、リアルを追求。しかし、同時に、古びていない、新鮮さ、すぐそばにいる感じも出しました。
「福山、大河、龍馬」というコピーは、福山雅治さんという当代きってのスターが、NHKの看板番組である大河ドラマに出演し、更に、幕末人物中最も人気があると言われている「坂本龍馬
を演じるということをシンプルに表現したものです。番組も、飾らず、ストレートに伝わるドラマにしていきます
<福山雅治さん コメント>
「坂本龍馬を演じるにあたり、あらためてその幕末の奇跡という事実に、いままで経験したことのない緊張と畏れを感じています。でも、それと同じくらいの興奮も感じています。」

NHKのHPより)

2013年6月24日月曜日

長崎の風からの伝言!

NHK大河ドラマ「龍馬伝」が決まるまで!

先月、第3回長崎さるく幕末編の講演会で、脚本家の福田靖さんとNHK鈴木チーフプロデューサーが長崎で講演をされた話を発表します。

脚本家の福田靖さん
NHKのえらい方がお見えになり「大河ドラマの脚本を書いて見ませんか?」と話があり「もちろん、書かせていただきます」と返事をしたのが、始まりで誰を主人公にするか迷っていたんですが、やはり坂本龍馬で行きたいと思い進言した所「司馬遼太郎の竜馬がゆくは、以前放映されているので、オリジナルの脚本でお願いします」と言われたそうです。
主役は、福山さんと決めていたそうです。
(福田靖プロフィール)1962年、山口県生まれ。劇団主宰を経て、1969年脚本家デビュー。主な作品はTVドラマ『HERO』『救命病棟24時』『海猿』『ガリレオ』『CHANGE』

NHK鈴木チーフプロデューサー
福山雅治さんだけにお願いし続けていたそうで、福山さんにお願いしたら「僕でいいんですか?」とは話されたそうです。
ドラマは4部講成で
1部   子役時代・龍馬が江戸に行く所・高知を脱藩する所
2部   勝海舟と神戸海軍操練所・亀山社中を立あげる所
3部   長崎の華やかさ・外国人のエネルギー・岩崎弥太郎やグラバーや大浦お慶
4部   海援隊時代・いろは丸事件・大政奉還
「龍馬を、最初から大物ではなく、普通の人が龍馬になっていく様子を描いていきたい」とも話されていました。


やけくそバラエティ歌謡!

「なんじゃらほい!」

なんじゃらほい!なんじゃらほい!
スカートが短くてなんじゃらほい!
見えそうで、見えないパンチラほい!
見せブラ、見せパン、なんじゃらほい!
すっぽんぽんになってみろ、なんじゃらほい!
なんじゃらほい!
なんじゃらほい!

献金もらってゲンナマほい! 脱税ぐらいで、懲役ほい! 
秘書は秘書でも軽井沢!
怒鳴り巻くって、現金ほい! 北方4島、金づるほい! 
脅かせ省庁機密費ほい!
なんじゃらほい
なんじゃらほい

玉けって、ゴールが、ベッカムか! 別のゴールにマタがってほい!
サポーターで騒いで、玉怪我し! ワールドカップはFカップ!
カップラーメン突っ込んで! 火傷しながら受験勉強!
東京に来たからってなんじゃらほい!20年たっても九州弁!
なんじゃらほい!
なんじゃらほい!

乳がでかけりゃ援助でほい!金やってどこが悪いんじゃ
身体を売って、服を買う! 化粧はできてもノータリン!
恋は恋でも金持って来い! 愛は会わずに愛してよ!
プライドかざしてリストラほい!金なし、恋なし、酒もなし!
なんじゃらほい!
なんじゃらほい!

宿命、運命、天命ほい!人生曲がって、ドンずまり!
猿だって反省するんダシ!反省したとて、もてるじゃナシ!
今日も新宿寝込んでほい!財布取られても空財布!
この際命を取ってみろ!死ぬまで酒に酔いつづけ!
夢は彼方へ、なんじゃらほい!なんじゃらほい!
夢は彼方へなんじゃらほい!なんじゃらほい!
なんじゃらほい!なんじゃらほい!なんじゃらほい!

※やけくそバラエティ歌謡、世の中何やっとるんじゃい・・・

2013年6月21日金曜日

おめでとうSONG by K-suke

おめでとうSONG!

結婚しました 結婚しました 結婚しました
遅ればせながらの結婚ですが
こんなにうれしいかぎりとは 
思いませんでした

ほんとうにありがとう ありがとう ありがとう
あなたが このぼくの愛にこたえてくれて
涙がでるくらい うれしいのです
こんなにうれしいかぎりとは
世界のてっぺんで しあわせものです

(バックコーラス合唱)
ほんとうにおめでとう おめでとう おめでとう
きみたちの遅ればせの結婚が 
僕たちも 涙がでるくらい しあわせです
こんなにうれしいかぎりとは
すこし想像していました

ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう
みんなでこんなにお祝いしてくれて
ちょっと目を伏せていますが
君たちと目があうと、涙がこぼれ落ちそうなんです
こんなにうれしいかぎりとは
しあわせすぎて ハッピーすぎて

(バックコーラス合唱)
結婚しました 結婚しました 結婚しました
きみたちの遅ればせの結婚ですが
うれし涙より うれし涙より
笑いましょう 笑いましょう 大きく高笑いしましょう 
高笑いで合唱しましょうよ


わっはは わっはは わっはは わっはは わっははは・・・

長崎の風からの伝言”こんなイベントもやっていた”

『「龍馬伝」土佐の風から長崎の風へバトンタッチ友情ウォーク』

長崎~高知 500キロ 20日間 私も歩きます。
龍馬も歩いた道を一緒に歩きましょう! (1日でも参加可能)

平成22年に放映されるNHK大河ドラマ「龍馬伝」の放映を記念し、 岩崎弥太郎の生まれた地である安芸市を出発し、長崎までの約500Kmを歩きぬくもので、長崎、高知の両県の観光誘致につなげることが目的。

コース
安芸市を出発し、高知市内から大洲まで「龍馬脱藩ゆかりの地」を経由
愛媛県伊方町三崎港からフェリーで佐賀関へ行き、バトンタッチを実施。
九州内は、龍馬(来崎初)が勝海舟とともに大分から長崎に歩いた道を歩き(熊本阿蘇経由)長崎へ到着。
11/1 島原~国見~愛野 11/2 愛野~飯盛~矢上 11/3 矢上~日見峠~長崎奉行立山役所跡

四国側 主催 高知長崎バトンタッチ友情ウォーク実行委員会
後援 高知市・安芸市・四国銀行
長崎側 主催 NPO法人「長崎の風」
    共催 さるく観光幕末編推進委員会
    後援 長崎市・十八銀行


詳細は http://www.nagasakinokaze.net/ → 龍馬伝 をご覧になってください!

2013年6月6日木曜日

坂本龍馬と長崎~勝海舟に出会うまで~ [NPO法人長崎風 増田泰之]からの伝言②

龍馬は、生まれた日と亡くなった日が同じ1115日です。数えの33歳、今で言うと32歳の誕生日に京都の近江屋で暗殺されます。
郷士・坂本家の5人兄弟の次男の末っ子で、龍馬が生まれた時、父八平・母幸は38歳、兄権平は21歳、長姉千鶴は19歳、次姉栄は不詳、末姉乙女は4歳、豪商才谷屋で裕福な家柄でした。
龍馬12歳の時にお母様が亡くなります。龍馬の幼少時代は、成績も良くなく、泣き虫だったようです。乙女(おとめ)姉さんが母親代わりで、剣術や学問を手厳しく教えます。身長58寸(約174cm)体重が30貫(約112kg)大柄な女性です。龍馬も同じくらいの身長で、体重はわかっていません。当時男性の平均身長が150cm位ですから大男に間違いありません。
黒船の来航により土佐藩品川下屋敷へ臨時御用につきます。この時19歳、龍馬はペリーの黒船を実際に見る事になります。この頃から自分の船を所有したいと思っていたのかも知れません。これから龍馬は江戸で剣術の修業をし、高知に戻り、いろんな事を勉強していきます。
龍馬は、28歳で沢村惣之丞(長崎の本蓮寺に墓)と共に土佐を脱藩します。その年、勝海舟と面会しますが、世界的な視野の広さに、師と仰ぎ、その場で門下生になます。この時の事を乙女姉さんに手紙を書いています。
2年後の元治元年(1864)亀山社中設立13ヶ月前、幕府の軍艦奉行・勝海舟は、外国艦船の下関攻撃回避するための対策を講じるため、目付・能勢金之助、坂本龍馬、近藤長次郎等、総勢42名を伴い来崎。

勝海舟のお供として、初めて長崎にやって来ます(龍馬は脱藩罪を赦免されていました)龍馬30歳。長崎での滞在は、福済寺(JR長崎駅前にある)です。長崎には江戸時代宿屋が一軒もありませんでした。42日間も滞在しています。見るもの見るものすべてが新鮮だったと思います。
 

「さらばカサノヴァ」序章

―この[さらばカサノヴァ][カサノヴァ探偵局]の序章である。現在執筆中の“新宿三丁目雑人事件”カサノヴァ探偵局事件簿Ⅰ「捨てられ少女」の序章に過ぎない。―

「この店“ペインフルレイン”と言うけど、痛風持ちの中年オヤジどもでも集まる店かい。痛みってい云う意味だっけ、何か辛気臭いネーミングだな。」

「お客さん、何飲まれます。」
バーテンダーは、その道の常道であるお客のむかつく話には極力気にせず平常心で対応する。
「バーボン、エズラ12年のソーダ割りをくれ。ロックグラスに氷とバーボンソーダだ。つまり濃い目のソーダ割りを。今言うハイボール。ハイボールと言うと今はウイスキーメーカーの企みキャンペーンでレトロなハイボールを流行らせただろう。それまでは、ハイボールと言えば、オヤジの言い方だったけどな。はっはっは。」
若いのに眉間に皺寄せたバーテンにしては一癖ありそうな筋肉質のバーテンが、12年物のバーボンウイスキー<エズラ>をぶっ掻いて綺麗に丸くした氷を入れ、グラスにバーボンとソーダを注ぎながら、北條を睨みつけたまっすぐな目線で、
「お客さん、最近いらっしゃいますけどよい人か悪い人か、バーにとって、わからない人ですね。と言うか、癖がいいのか悪いのかわからない。はっきり言わせもらえば酒癖悪いでしょう。」
「バッカスのカミが与えてくれた酒飲むのだから、酔うのは当たり前。」
「この店では大声出したり知り合いではない人に勝手に声かけたり、いかにも酔ってカウンターに同席するお客さんに迷惑かけるようだったら出て行ってもらいます。出禁の酔っ払いオヤジたくさんいますから・・・」
「窮屈な店だなー。それじゃかえって悪酔いするじゃないか。ま、郷に入ったら郷に従えか。ルールがあるからしょうがないな。でも決まりがあると破ってみたくなるのが酔っ払いの性分だぜ。」
肩肘張ってグッと一気にバーボンを流し込んだ北條は、
「このバーボンウイスキーは、やっぱうまいねー。私たち大好きウイ、スキー。ボトルのラベルの絵ズラがいいもんねー。ってか」
バーテンはあきれてレコードの架け替えに行った。クラプトンの“レイラ”のオープニング、ギターのリードがなり始めた。
 はっきりしない天気が続いていた。梅雨にいつ入ったのか晴れたり雨が降ったり、生活に勢いがつかない日々だった。
ちょうどいいか、こんな天気が続けば、撮影延期になって休めてちょうどいいや。しかし無駄に製作経費が嵩んでいくばかりかな。北條はスポンサーからの釈然としない突然の撮影延期のお達しに、むしゃくしゃしながらも、天気のせいにしてなんとか気を静めていた。


2013年6月1日土曜日

坂本龍馬と長崎<NPO法人 長崎の風 増田泰之からの伝言!>

坂本龍馬と長崎①

皆さんは、坂本龍馬と長崎がどれほど関係深いかまだ知らない方が多いと思いますので、少しでも龍馬の事を知っていただく為にも、連載していきたいと思います。
来年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』は、オリジナルの脚本で、舞台の半分以上が長崎で、龍馬役は福山雅治さんです。亀山社中や海援隊は、長崎市にあったから、自分達の場所とは関係ないと思っているかもしれませんが、龍馬は初めて長崎に来た時に島原から歩いて愛野・日見峠を通り、長崎に入ります。上五島にも亀山社中所有の船が難破した時も行っています。

龍馬さんを通じて、長崎が少しでも元気なるお手伝いをしていきたいと思います。龍馬さんも「わしを利用して、長崎が元気にならんといかんぜよ!」と言っているような気がします。

2013年5月30日木曜日

「さらばカサノヴァ」第一章

[カサノヴァ探偵局]序章
第一章”デジタルエラーは突然に”

 北條盈(ホージョーミツル)は狭い階段を、一直線に三階までのびている階段を一気に昇って行った。
 一階は焼き肉店、二階は比較的年配者、団塊の世代?が立ち寄るカウンターバー、三階は若者、馬鹿者が酔いたいがために、面倒でも三階まで昇ってくるミュージックバー。細長いワンフロア―30坪くらいのバーである。
 北條は40を過ぎた年齢である。中年の域に達しているが若者常連客が集まる店を好むのは、若い連中に交じってバーボンソーダを飲みながら、記憶に残らないバカ話をしたいがためである。
三階まで、ここ連日連夜通っている。
 二階で留まるには、まだいやだ。常連のジジイ達に交じって他人事の話や自分勝手な昔話し、ましてや学生運動時代の話は、笑い飛ばしているオヤジならいいけど、真剣に当時のイデオロギー話に合わせる気持ちなど毛頭ない。失敗した運動を検証して、さて次は成功するだろうか。世界同時革命は実現するのか、しなければならないのか。悩むほどの時間は持ち合わせていない、俺には、そんなことより今日はどんなうまい酒にありつけるか、いい女はいるか、そんなことしか未来は憂得ない。
など俺はぶつぶつ一人悪態をつきながら、無理して軽やかにステップ踏んで昇りきった。
ペインフルレインというバーだ。ペイン、痛みという意味だったかな。痛々しい雨ということなのかな。若い連中が来る割には店名が意味深で、ジジくさいな。と思いながらも俺は重い扉を引いて、美術セットのようなインテリアの店内に入った。
 ニール・ヤングの”ハーベスト”がLP盤で回っていた。ニール・ヤングが金の心を探して、孤独の旅路を歩んでいる曲だった。