2014年8月20日水曜日

勝海舟に同行し、福済寺(筑後町)に42日間滞在していた


元治元年(1864)、当時、幕府の軍艦奉行並だった勝海舟は、外国艦船の下関攻撃を回避するための対策を講じるため、目付・能勢金之助、坂本龍馬、近藤長次郎、千屋虎之助、望月亀弥太、安岡金馬等を伴い来崎。長崎でアメリカ・オランダ・イギリスなどの各国領事と会見し、その結果、オランダ領事から軍艦の下関派遣を猶予するとの回答を得て、解決しました。
龍馬にとっては初めての来崎で、逗留先は福済寺でした。滞在期間は223日から44日までの42日間(亀山社中設立1年3ヶ月前)。この間、大浦の外国領事館や長崎製鉄所、小島養生所などを訪れました。また、長崎で龍馬は勝と相撲をとり、大男の龍馬と小柄な海舟が組み合った様子は、「まるで鶴にタカがちょっととまったようだった」という話が残っています。
福済寺は明治に国宝に指定されましたが、原爆で焼失しましたが、現在でも当時の灯篭が残っています。NHK大河ドラマ「竜馬がゆく」では、撮影が行われたそうです。




0 件のコメント:

コメントを投稿