2014年6月29日日曜日

時代劇映画シノプシス「相良藩の夏」⑩希守池實


⑩同刻頃、矢嶽村のはずれ。
山村の子供たちの朝は大人の誰よりも早い。
夜の明ける前に起きだして、まずやらねばならぬことがあるからだ。
それは、自分たちの仕掛けている罠を見て回る習慣があるのだ。
この季節は川にかせ針やはえ縄(ヒビなどを仕掛けている)を見回る。日が昇る前にワナを全て見て回る必要があった。
(山村の子供たちに限らず、皆様々なワナを仕掛けることによって、魚や鳥や獣の習性を知る。ワナを仕掛けながら山や谷を翔け回って、山で暮らしていく知恵を得ていくのである。)
その朝もいつものように、半弓を肩にして村を抜け出した子供たちは全部で八名であった。
13歳栗太・7歳おせん兄妹、
11歳八郎・6歳平八兄弟、
11歳弓吉・9歳矢吉・4歳弦吉兄弟、
8歳鷹太郎・5歳おせい兄妹、
17歳おさと・8歳丸助姉弟、
栗太が男では最年長であったが、リーダーは八郎であった。
おさとは山奥の村には不自然なほど顔立ちの整った美しい娘盛りだったがその美しさは白痴のそれであった。

⑪半刻ほど経た矢嶽村

七人の若い刺客たちは、手筈通りまず、猿谷口から矢嶽村を襲った。

2014年6月24日火曜日

時代劇映画シノプシス「相良藩の夏」⑨希守池實


細い月のみがわずかに山道を照らしている暗い夜であった。
七名の若者の出発はすべて極秘のうちに決行され、もし全員が疫病に感染して再び帰ることがなくても、それは「神隠し」として処理されることが、家老と重役の間で確認された。
それぞれの重役が、我が子を事の始末に差し向ける為、皆沈痛の面持ちである。

翌朝、まだ陽の昇る前、竹山の山小屋。
七人の若者は、黙して白装束に身を固め、白布でなお顔を覆い、手指も覆っていた。
得物は皆背負った刀と腰の脇差、それに短めの手槍を持つもの、短弓と矢をしたためるものであった。それぞれの瞳からは、並々ならぬ決意が読み取れた。
「後へは引けぬ、決行するのみぞ。いざ!」
最年長の左近の声が、覆面を通して、異様な響きをもって皆に決行の時を告げた。
目指すはただ、矢嶽村のみである。

同刻頃、矢嶽村のはずれ。

山村の子供たちの朝は大人の誰よりも早い。

2014年6月23日月曜日

武士の伝言⑫ビジネス武芸書


ホワイトボード・ミーティング育成
:聞く耳を常に持て・ビジュアルで確認していく
①方法案の提示・建設的な意見とは解決案も提示していること
・問題発見能力(愚痴など)と問題解決能力が必要
②できない理由は整理することで消えていく
・できない理由を探すのがうまい人は頭がよい場合が多い
●自分で考え、自分でやれというのは、考えてできるものに対して言うべきことである
○考えても実行にいたらないものについては、幹部が橋渡しをする必要性がある
6、「できる思考」育成:「できない」を禁句にせよ
①好き嫌いは単なる過去の経験論でしかないことを意識する
②「会社の使い方」を教える
  人間は本来持っている能力の3~4%しか使っておらず、後は潜在している⇔
倍以上の目標を立てて潜在能力を発揮させる⇔チャレンジの面白さ
○会社の総合力を使う⇔仕事のやりがい、楽しさを社員に実感させる
7、「ノーマン」育成:操業当時の迫力を伝える
①会社は安定を求める⇔安定性が高まると甘えが生じやすい
●創業の精神を忘れない⇔幹部がどれだけ当時の迫力を今の社員に伝え忘れないようにする
②最大の敗因は安住⇔イエスマンを配置しない⇔「ノー」がないすなわち「脳」がない
●ノーと言えない人は「脳」もない、考えられない、判断できない
○イエスマンとは創業当時の迫力を忘れている幹部が陥りやすい
8、危機逆転育成:危機感と悲壮感を間違えない
①危機だから、新たなことに挑戦する意欲を持って仕事に取り組む
②会社には「新」が必要
●インセンティブ(報奨金)を支給する基準はコミットメント(公約)した目標を達成できたかどうかである
○新しい仕事に取り組む⇔社長や幹部が自分自身を変えるところから始まる
⇔新しい仕事に取り組む・危機がチャンスに変わる
⑫対人関係は呼吸の勝負
呼吸をコントロールすれば、戦いを有利に運ぶことができる。自分の呼吸を自覚して、相手の呼吸に合わせてみる。
長呼気丹田法:フーーと長く吐き、吸うときは一瞬で短く吸う。細く長く。息を吐く。吸うのは安全なとき、あるいは相手を崩したとき。

呼吸を読むレベルが上がってくれば、相手に気持ちよく話をさせる間の取り方、あるいは付込むタイミングも自然に感じられるようになる

時代劇映画シノプシス「相良藩の夏」⑧希守池實


⑧同日夜・城内

国家老と重役衆、そして選ばれた7名の若者が対座している。
選ばれた若者は国家老をはじめ他の重役衆の実子だけであった。


 国家老恒松の次男  恒松豪太夫  24
       三男  恒松義三郎  20
年寄衆相良の次男  相良多門   19
瀬戸石 長男  瀬戸石左近  26
      三男     右近  19
免田  次男  免田黙兵衛  21
多良木 長男  多良木兵庫  18

「子細はいま伝えた通りじゃ、藩の為首尾よう、やってくれい・・・」
七人の若者たちをゆっくりと見回しながら家老恒松義彦は、悲痛な別れの声を皆にかける。
「用意は万全じゃ、さあ、すぐにも発て・・・」
と、年寄瀬戸石四朗五郎の声が未練を断ち切るように低く響いた。
 七名の若者は、命を懸けた刺客として密かに城を発ち、竹山の山小屋へと向かった。
途中誰一人として声を発する者もなく、振り返って城下を見るものもいなかった。

細い月のみがわずかに山道を照らしている暗い夜であった。

2014年6月19日木曜日

武士の伝言⑪ビジネス武芸書


⑪<4>会社の面白さを一致して示す
「人材づくり」の社長と幹部の協業
1、コンピテンシ-育成:「求める能力を」まず一致して示す
①社員にコンピテンシー(高業績を生む行動特性)
(できる人の動きを真似たら、真似た人の業績も上がる)
●真似るモデルをはっきりさせることがコンピテンシー⇔何が基本なのかを示す
②評価はできる人を増やすためにある⇔ゴールをイメージさせる
(既存客を一生懸命フォローし、いろんな提案活動をしてお客様の信頼を得て、
新たなるお客様を紹介してもらうのは一般的には効果的なやり方)
⇔紹介者が保証人の役割を果たし、信用性が高くなる)
2、コミットメント育成:協業は具体的目標から始まる
①何をやるかという意思疎通(コミットメント・「使命」「公約」「必達目標」)
②低レベルのこともきちんとやるのは高い目標
●5S(整理、整頓、清掃、清潔、しつけ)
○自分に求められることを成し遂げるためには、使用人ではなく、パートナーが必要)
○目標数字に対して実績がどこまで行っているかを確認しあう
○社長が幹部に求めるものをはっきりさせ、幹部が社長に望むものをはっきりさせる
3、即戦力育成:知る満足を「できる」楽しさに高める
①やってみせて、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かず
●知っていることとできることは、必ずしもイコールではない
4、思考力育成:社長と幹部は「考えさせ巧者」であれ
①考えるから存在価値、存在意義があるし、能力も高まっていく
●対応法として、効率性、安全性、費用面などABC案と3案以上考える⇔独断と偏見に陥らない
○社長と幹部は「報、連、相」の「相談」の手法を大いに使わせる
○部下は自分のやり方、考え方が認められたと思えば、部下はもっとやる気になるのだ
「物事の正中線」を抑える
正中線は人間の急所、常に正中線を念頭において攻防する
逆に自分の正中線は絶対に取らせてはいけない。
大局を把握しながら
核心を見る
判断ミス失敗のリスクが低くなる

具体的な戦略や進むべき方向がわかる

2014年6月18日水曜日

時代劇映画シノプシス「相良藩の夏」⑦希守池實


密書の大意】
・矢嶽村に名状しがたい恐ろしい疫病が発生し、感染した村人が次々に死んでいく。これを食い止めるのは不可能である。手遅れになっている。
・矢嶽村は谷川沿いにある14戸の小さな村であり約70名の村民がおり、6割がたが疫病に犯されている。
・このすさまじき疫病を矢嶽村から出さないことが第一であり、それには矢嶽村すべてを焼き払って抹殺、神隠しせざるを得ないと結論する。

矢嶽村抹殺の方法
一、      抹殺を実行する人員は、我天涯と息子の柿丸を含めて九名とする。
二、      選ばれた七名の士は、大事を終えた後、竹山(猿之谷の近くの山)の山小屋に一か月山籠もりする食糧、生活用品を準備する。
三、      夜明けを合図に矢嶽村を急襲、無言のうちに女、子供と云わず家畜の類まで一気に抹殺し、すべてを焼き払い見届ける。
四、      襲撃に際しては、全員白布で手、顔を覆い、目のみを出すだけとする。
五、      大事を終えた後は、全員身にまとったものすべてを焼き払い、湯にて身を清め、一か月間竹の山小屋にて生活、その間発病者が出なければ帰宅しても差し支えない。
六、      もし一人でも発病したら、全員切腹し、最後の者がそれらを焼き払い、自分も火の中に投身し、始末する。
・以上、一刻も待たずして実行されんことを希望する。
・藩主参勤交代の間に事なきを得る。


同日夜・城内

時代劇映画シノプシス「相良藩の夏」⑥希守池實


⑥同日、夕刻、繊月城
医師天涯からの密書は、藩の重役から重役へと手渡されて、読まれていく・・・
 国家老 恒松義彦 54
 年寄衆 相良嘉門 47
 瀬戸石四朗五郎  68
 免田伝七郎    50
 多良木角八    38
読み終えた者は腕を組み、じっと考え込む、皆が読み終えるのを待っている。
「いかがいたしたものかの」
家老恒松義彦は他の重役衆を見回す・・・
「天涯の申す通りにするより他に、手立てはありますまいて・・・」
瀬戸石四朗五郎のつぶやくような一言があり、誰もが唇を結んで
「しかたなし」

黙して同意を示す・・

【密書の大意】

2014年6月16日月曜日

時代劇映画シノプシス「相良藩の夏」⑤希守池實


同日・同刻ごろ矢嶽村において・・・前代未聞の大事が
藩の御用意志青井天涯は、矢嶽村庄屋矢六に呼ばれて村に出かけたが、そこで発生した得体のしれない疫病が、すごい勢いで感染し、発病すると半日で苦しみ狂い死にする様を見て、重大な決心を迫られている。
彼の決心とは、矢嶽村で発生したこの疫病を矢嶽村の外へは出さないことを・・・
つまりは、“自分自身を含めて、今この矢嶽村にいるすべての者、すべての生き物を抹殺せざるを得ない”ということであった。

同日、昼過ぎ矢嶽村入口、猿之谷
 医師天涯は、家老恒松義彦宛てに、この疫病の始末を依頼した密書を作成し、矢嶽村の入り口猿之谷に結界をめぐらしてそこを通りかかる者を待っていた。運よく参勤交代の見送りを済ませた若武者の数人が猿之谷の結界を見つけ駆けつけてくれた。
天涯は結界をはさみ大声で藩士に家老への使いを頼むと、密書を矢に結んでその藩士の足元に射、渡した。
藩士は無言のうちに頷き、密書を引き抜き、馬に鞭をくれると繊月城へと一目散に駆け出して行った。


同日、夕刻、繊月城

2014年6月15日日曜日

武士の伝言⑩ビジネス武芸書


「できる」「やろう」育成
:幹部は社員を「いい負荷」で伸ばす
①好循環に入るまでに時間がかかっていては、やろうと思わず終わってしまう
⇒面白く思うとやる気が出てくる
②プレイングマネージャーを育てる
●主任のバックアップがあって、一般社員が目標を達成できていることが一目でわかる
●達成感の味わえる課にいる社員は営業の面白さがわかって、
いっそう積極的な姿勢で仕事に臨むようになる
●小さな成功体験をさせてやることの重要さ⇒部下の指導支援の優先を高く持つ
4、リカバリー育成:幹部は無敗より失敗を好機にする
①幹部は情状酌量で例外を作ってはならない
  評価制度はきちんと守り、評価を落とされた本人の落ち込みをフォローするのが幹部
⇒失敗を糧として更なる成長に向かわせる
②一割の原因不明を放置しない
●失敗については本人自身で記録させ、その後は本人も幹部も水に流す
○失敗の原因を妥協せずに徹底して追いかけること
<失敗そのものはマイナスだが原因を確実に掌握し、再発防止策を講じ、再チャレンジしたら評価される>
5、問題解決育成:幹部は問題の発生より解決責任を求める
①幹部はもう一度報告のルールを徹底させる⇔社内の風通しをよくするのも幹部の仕事
②ルールは守りやすい環境で効果を発揮する
●「よい報告は後でもいい、悪い報告ほど早くする」
6、幹部は「褒める」「叱る」:を常に工夫する
①部下を褒め、認め、正当に評価してあげればいい
●怒ってはいけない、叱らなければならない「感情を表に出してはいけない」
○怒る場所やタイミング、言い方などを工夫する⇔怒る名人フォローの達人になる
7、ナレッジ育成:技術の伝承を通じて人を育てる
①ナレッジ(知的資産)をいかに伝承していくかを工夫する
8、能力開発育成:能力開発の仕組みをつくる
①仕事に対する意欲が高い人ほど自分の可能性や能力アップに関心を持ちいろんな資格を取ろうとする
●「ファイブスター制度」「匠制度」など制定すると自分の能力開発にチャレンジするようになる。
⑩「後の先」は受身ではない
後から動いて、しかし確実に勝つ
「攻めの姿勢が「後の先」を可能にする
相手の攻撃が形になる前に叩く
A社が新商品を出すかも
B社が販売方法を変えるかも
C社がコスト削減で定価を下げるかも
D社は独自スタイルで宣伝している

他社に負けない準備をする

2014年6月13日金曜日

「印傳極楽金魚」⑫希守池實


ケイスケは昨日の撮影テープをノンリニア編集ソフトが取り込まれている大容量のPCに映像をキャプチャリングしている。スタジオでスイッチングした本線テープとパラで撮影した数台のカメラ分とロケで撮影してきたテープとクライアントの商品カット分と。
三十分番組でも、その数十倍の撮影テープ分をPCに取り込まなければならない。膨大な撮影量のなかから必要なカットだけをつないで三十分番組が出来上がる。大変な作業と段取りがほとんどADの作業になる。早くディレクターになりたいのは当然だ。
ADとはいえ社会人だ。学生時代のサークルのように仲間同士で楽しく過ごした頃の感覚とは正反対だ。エンターテインメントの最たる現場で仕事ができると思い、ひまわりのように浮かれた気分でこの仕事を選んだのに、今の気持ちはどん底を這っている。社会人になったらいじめなど無いかと思っていたのに、仕事を始めてからがいじめられることが多かった。仕事ができないこともあるが、そこに付け込んでとことんいじめられる。当然のことなのだ。そこを押し切って自分の立場を作って行かなければならないのだ。実力が無いものは、黙ってスポイルされるし、実力があっても足の引っ張り合い、蹴落とし、卑怯な上司や同僚なんてざらにいる。
「いいか、君のために苦言を呈しているのだからな。」と言いながらも、明らかにストレス解消の単なるいじめのときもある。

ケイスケが現場で最初に付いたADの先輩は、気も合ってかケイスケの面倒を良く見てくれて、失敗もよくフォローしてくれた。この先輩について行けば仕事も覚えられるし、その先輩がディレクターになったときは力の限りアシスタントでフォローしようと思っていた。

2014年6月9日月曜日

時代劇映画シノプシス「相良藩の夏」物語。希守池實


≪物語≫

寛文三年六月某日(よく晴れた早朝)

繊月城(相良城)は、その背を険しい山に守られて表は急流球磨川を堀とし、
そそり立った石垣に武者返しが見事な守りの名城である。
その城へ城下からただ一本かけられた水の手橋
(その橋の袂に船着き場が設けられているため、そうよばれている)があり、
そのたもとの船着き場では国家老の恒松義彦ほか
多勢の留守を預かる者たちに見送られて、
藩主相良義光が参勤交代の為に、
今しも江戸へ向けて出発しようと、球磨川下りの船に乗っている。
 早朝にもかかわらず対岸では、藩民総出の見送りが祭りのようににぎやかで、
郷土自慢の勇壮な鹿踊りや太鼓踊りが披露され活気を呈している。
お供の侍衆の舟には槍がまっすぐに立ち並び、
腰元衆や荷物の舟には色とりどりの旗が風いっぱいに舞っている。
 天守の太鼓を合図に船頭たちの威勢のいい掛け声響き、
十数隻の舟行列は一隻また一隻と、船頭たちの舟唄にのって、
お城の舟寄せを離れ、球磨の急流へと漕ぎ出していく。
 舟行列の出発と同時に、
旗差し物に鎧兜できりりと身を固めた騎馬武者三〇騎ばかりの集団が
水の手橋から一斉に走り出していく。
五里ばかりの川下の白石の瀬まで馬をとばして、
先頭の舟から一番槍と云われる赤柄の槍を一番矢に受けに駆け付ける、ためである。
(相良藩の川舟を連ねた参勤交代の光景は、錦絵を見るような名状し難い美しさ、華やかさであった)


同日・同刻ごろ矢嶽村において・・・前代未聞の大事が

「印傳極楽金魚」⑪希守池實


二、若者よ、世に言うな!

 ケイスケは自分のアパートから三十分ほどのところにある会社にいた。夕方出社だが昨日スタジオ撮影で撮りは終了し、中間打ち上げもあったので午後出社も許される。 制作会社はプログラムを期日に間に合うようにあげて納品すればいいので、基本的にはフレックスタイムだ。しかしアシスタントディレクター・ADは、そうはいっても一プログラムが終了するまでほぼ十二時間以上掛りっきりだ。遅く出社すればその分遅くなるし、のんびりしていると追い上げの時はほんとに二十四時間ぶっ続け作業になる。
ディレクターはADが準備している間、編集作業に入るまでの準備期間にはオフになるか、別のプログラムの掛け持ちか、次のプログラムの企画・シナリオ作業を行う。ADは現場で仕事を覚えて行くしかない。
プロデューサーはADに「早く新しい企画持って来いよ。面白かったら、ディレクターやらしてやるからよ。」というけど、毎日、毎週、製作に追われて企画書を書く暇はなかった。プロデューサーもそんな根性のあるADなんてめったにいないと分かっていて、時々ADのモチベーションを上げるために、そんなことも言う。
本気で寝ないつもりで企画書なりシナリオを書き上げないと最初の一本のディレクションはできない。ディレクターは資格試験に受かって公的になれるわけじゃないから、現場の中で身近なプロデューサーに認めてもらわなければなれない。更にチャンスをものにして初めてディレクターをやっても、その作品が良くなければ、またしばらくADで冷や飯を食うしかない。

最初から制作畑で生きて行こうと決める若手もいるが、それはそれでゆくゆくプロフェッショナル制作として何本も作品掛け持ちで稼ぎ出すものもいる。若い時は稼ぎよりも、ディレクターを目指し自分のクリエイティブ能力で作品を作り上げていく喜びを感じたいものだ。ケイスケもディレクターを目指してこの世界に入ってもう三年あまりが経つ。

2014年6月8日日曜日

時代劇映画シノプシス「相良藩の夏」③希守池實


■矢嶽村
・平家の落人村であり、全14戸
村人は武具(相良弓)の生産で生計をたてている。
・相良弓は、相良藩唯一の他藩との交易品であり、藩の保護を受け矢嶽村のみで生産されていた。
・戦国の世には矢嶽村の男子は雇われ兵として出兵し、その弓術をもって勇猛に戦うことでも知られていた。
それ故に矢嶽村では女子供までもが弓を上手に引くのは当たり前の事であった。

・相良藩には丸目蔵人という剣聖、剣術の創始者もいた。
相良藩の武士たちは、剣術にすべからず明るかった。

資料①
【丸目蔵人佐長恵 (まるめくらんどのすけながよし)

タイ捨流創始・相良藩剣術指南役(15401629
 天文9(1540)八代に生まれた。当時八代は相良氏の支配下にあった。若いころ上京して上泉伊勢守信綱に新陰流を学び、四天王の一人となり、足利13代将軍義輝に演武を披露して感状を受けた。その後、戦国の武将筑後山下の城主蒲池鑑廣や勇将柳川城主立花宗茂に新陰流を教え、授けた免状は今も保存されている。やがて新陰流を離れて、より実践的な剣法タイ捨流を創始、西国に広めた。示現流を採用する前の薩摩藩はタイ捨流を相伝した。あるとき徳川幕府の指南役柳生但馬守宗矩に試合を挑み「竜虎相搏つは非、天下を二分せん」と説得された話や巌流島決闘のあとで訪れた宮本武蔵に、タイ捨流二刀の型を伝授したという話など、逸話も多い。
 晩年は一武村(錦町一武)に隠棲して、村人とともに七町歩余の山野を拓き、その田畑や水路や植林地は残って今に活用される。元和4(1618)、京都からローマに送ったイエズス会宣教師の報告書に、高潔で品格ある丸目蔵人佐の風貌が描かれているのは注目に価しよう。
 寛永6(1629)没。89歳。墓は切原野堂山。墓前には追善のために村人で建てた石灯籠がある。

剣道愛好者が剣道家を目指すもの「気品」

剣道と気品 大日本武徳会剣道範士 持田盛二

 剣道修業をする上に、種々の目標を立てることが出来ようと思う。
昔から「大強速軽」と云うことがあるが、之なども誠に良い教えで、大きい、強い、速い、軽妙な剣、それぞれ修業の目標となるものである。
即ちこの意味から『気品』と云うことも剣道修業上の大切な一目標になろうかと思う。
強いということも勿論重要なことであるが、強いだけでは物足らない。『強い剣道』であると共に『気品ある剣道』でありたいものである。
あの人の剣道に『気品』あるとかないとかは誰にも自然に感じられるものであるが、然らばその気品とはどんなものかという段になると、容易に言いあらわし難い。
気を花に譬ふれば、気品はその薫りのようなものであるまいか、或いは、心を光になぞらへれば、気品はその映ひ(うつろい)のようなものではあるまいかと思う。
 花鮮やかならざれば薫りを得がたく、光明らかなざれば、その映ひを望み得ないと同様に、気品は正しい心、澄んだ気から、自然に発する得も言われぬ気高さである。
何事によらず、真剣になっている時ほど気高いものはなく、三昧の境地、無念夢想の境地に入り込んだ時ほど気品あるものはない。
結局、真剣を離れて気品は得られぬものである。一本の稽古もいやしくもせず、ただ真剣、ただ一心、その心掛けがあったら求めずして上達し、求めずして『気品』ある稽古となるは請け合いである。
斎戒沐浴、神の御前に出づるが如き厳粛なる気持を以って、日々の稽古を真剣に励みたいものである。
 『端正』といふことも気品を養う上に大切な要素の一つである。心が端正でなければ、気品は生まれない。形が端正でなければ、気品は生まれない。形が端正でなければ気品は添はない。 
徒に勝敗に拘泥する時、品が悪くなる。私心、邪念にとらわれて、稽古に無理がある中は気品が添はない。
形の方面よりいふならば、稽古着や道具の付け方が正しくなければ、品が添はない。姿勢の悪いのや動作の粗野なのも品を傷つける。
 剣道は『礼に始まって礼に終わる』といはれるが、礼儀を離れて気品はない。
斯く段々に考えて来ると、心も形も共に正しく互いに相助けるのでなければ、真に正しい立派な剣道、気品ある剣道となることは出来ないのである。『心正しければ剣亦正し』といふのも、この意味に他ならないのである。
 気品を養う上に於いて『気位』といふような事も考へられる。即ち戦わずして敵を呑む気位、遂には宇宙を吞吐する底の気位に至って、愈愈気品は高まるのである。
更に申したい事は剣道を単なる竹刀打ちと考えている中は、本当の気品は生まれないということである。
 この道は天地自然の理法に貫通する至高の大道である事を悟って、修業の上に理想を持って進むことが肝要である。
 理想ある剣道と然らざる剣道とでは、気品の上にも天地雲泥の差が生じて来る。
しかし無理に気品をつけようと気取ってみても本当の気品にはならない。気品は朝に求めて夕に得られるものではない。絶えず心を練り気を養ひ、心と業とが進むに従って、自然に備わるべきものである。
 奥床しき気品漂ふところ、人格そのものに高き香薫じ、明るき光映ひ、誰しも自ら湧き起る尊敬を禁じ得ないものがある。
 折れず、曲らず、鉄をも両断する斬れ味と、にえ、にほい、謂ふにいはれぬ気品をもつ名刀の如く、願わくば剣道に於いても『強さ』と『気品』の両者を併せ得たいものである。


※斎戒沐浴・心を清め、身を洗うこと。

2014年6月6日金曜日

時代劇映画シノプシス「相良藩の夏」希守池實

<登場人物>
藩主  ; 相良球磨の守義光  33歳
城代家老; 恒松義彦      54歳
      恒松豪太夫(次男) 23歳
      恒松義三郎(三男) 20歳
家老  ; 相良嘉門      47歳
      相良多門(次男)  18歳
家老  ; 瀬戸石四朗五郎   68歳
      瀬戸石左近(長男) 26歳
      瀬戸石右近(三男) 20歳
重臣  ; 免田伝七郎     50歳
      免田黙兵衛(次男) 21歳
重臣  ; 多良木角八     38歳
    ; 多良木兵庫(長男) 18歳
藩医  ; 青井天涯      38歳
      青井柿丸(長男)  15歳

矢嶽村の子供たち
八郎・13歳、平八・6歳(兄弟)
栗太・13歳、おせん・7歳(兄妹)
弓吉・11歳、弥吉・9歳、弦吉・5歳(兄弟)
鷹太郎・8歳、おせい・5歳(兄妹)
おさと・17歳、丸助・6歳(姉弟)

≪時代≫
■寛文年間(1661~1673)
・世の中が平穏になり、教育などへの関心が高まる。
≪場所≫
■肥後・相良藩二万七千石城下
・藩主 相良藩球磨守義光
・国家老 恒松義彦(城代家老)

前代未聞の復讐劇が始まる。

2014年6月2日月曜日

「印傳極楽金魚」⑩希守池實


「いや。今回の場合は、わしは息抜きに来たったい。少々疲れ気味でな。ボーっとしとったら、出目金が見えたけん、しばらく水の中でリゾートでもしようかと思って、出目金に入魂したら、お前が登場して来たったい。」
「じゃ特に選ばれたわけでもないわけなのね。どうでもいいんじゃないの。」
「いやいや、こういうときもあるのよ、だんな。掘り出しものが。ちょっと見とったら、君はなかなか性格がええよ。素直というか、純粋というか、ちょっと興味ひかれたのよ。抜けとるいうか、とろくさいというか。おたんこなすというか。」
「褒めてねーじゃねーか。」
「いやいや、口が滑ったんやけんど。なかなか最近の若いもんにしては、いいもの持っているよ。」
「持っているかどうか分からないじゃないか。もういいよ。しゃべれる出目金を飼っているということなのね。そろそろ会社に行くよ。帰りにえさ買ってくるから、それまで我慢しな。電気代かさむけど、空気のぷくぷくも付けておくからさ。狭いところですみませんね。癒しのツールとして楽しみに持ち帰ったのに、これじゃ生死にかかわるほど疲れそう。」
「そうじゃ、君は今頑張りどころじゃ。生き様をしっかり考える時期じゃ。だから出目金に入魂してきたんじゃよ。君のために。しばらく面倒見てやるから。安心せよ。君の未来は明るい。」
「さっきの話と違うじゃないの。リゾートに来たんでしょ。あーあ、おしゃべり出目金と暮らしているなんて仲間に言うと、それこそ気がふれたと思われて、友達も職も無くすだろうな。」
「まあ、ええがな。人生いろいろ。ビシャモンのコンセプトは“武士の心を持って、ハッピィ、ラッキィ、ネイチャー”なのです。楽しく、幸運を掴んで、自然体に、がモットーじゃ。心に留めて生きて行こう。しばらく私と付き合うと、わかりますよ。その意味が。」
「わかりました。僕の頭が狂ったのか知れないけど、現実らしいからしょうがない。」
「そうじゃ、居直りも大切よ、人生は。な、いろいろあるかもしれんけどハッピィに生きようゼヨ。爽やかに行ってきなさい。えさも頼むで、中華は嫌いじゃ、やっぱ和風での。」
「えさに、そんなのあるのかい。まあ、ハッピィに行ってくるよ。留守を頼んだぞ。」
「おうよ、その調子。その調子。」ケイスケが着替えて金魚鉢みたら、出目金はすでに仰向けになって、マブタを閉じていた。するとおもむろに仰向けのままマブタをゾロっと開けて、
「ケイスケ君、もう一言言うことがあったワイ。ビシャモンのモットー“ハッピィ、ラッキィ、ネイチャー”はのう、どこにあるかというとじゃのう、君の足元や一番身近なところにあるということじゃ。忘れないことさ。このことを。身近なとこじゃ。青年よ進みなはれ。では、本日はさらばじゃ。寝るゼヨ。」
「金魚にマブタあったっけ。」
「わしはな、ドライアイじゃけんの。」ビシャモンは大きなマブタをゾロっと閉じた。
「水の中にいるのに、ドライアイなの。わからん。しかし金魚にまぶたあったっけ。」イナトミケイスケは首をかしげながら、アパートを出た。