< NPO法人長崎の風 増田泰之>
龍馬が暗殺される2カ月前の慶応3年9月12日(現在の10月8日)に長崎くんちが開催され、諏訪神社のみこしが大波止のお旅所に安置している時に、江戸町で土佐人が外国人2人に切りつける事件がおこります。「江戸町おくんち事件」です。
土佐商会の二人が、大波止のお旅所に行く途中に小競り合いになり、イギリス人とアメリカ人を刀で傷つけたのです。その時に岩崎弥太郎はじめ、関係者の大方の意見が犯人を隠して長崎から逃がそうと言ったのですが、龍馬は犯人を長崎奉行につきだし、龍馬の代理人がイギリス領事とアメリカ領事に事の顛末を話し、事なきを得たという内容が、佐々木高行(海援隊を監督する役目で土佐から赴任の役人)の日記に書いてあります。
この時代の長崎は、安政の開国でオランダ、中国以外にアメリカ、イギリス、フランス、ロシアとも開国をし、7月にはイカルス号事件(丸山でイギリス軍艦水夫2名殺される)で海援隊に嫌疑がかかるも、無罪がやっと晴れ落ち着いた時期でもありました。この事件の第一報を聞いた龍馬は「柱に寄りかかり大きな息をして、またやったか」とつぶやいたと言う。(維新土佐勤皇史)土佐商会は岩崎弥太郎が主任・長崎留守居役の時です。
0 件のコメント:
コメントを投稿