2013年6月6日木曜日

坂本龍馬と長崎~勝海舟に出会うまで~ [NPO法人長崎風 増田泰之]からの伝言②

龍馬は、生まれた日と亡くなった日が同じ1115日です。数えの33歳、今で言うと32歳の誕生日に京都の近江屋で暗殺されます。
郷士・坂本家の5人兄弟の次男の末っ子で、龍馬が生まれた時、父八平・母幸は38歳、兄権平は21歳、長姉千鶴は19歳、次姉栄は不詳、末姉乙女は4歳、豪商才谷屋で裕福な家柄でした。
龍馬12歳の時にお母様が亡くなります。龍馬の幼少時代は、成績も良くなく、泣き虫だったようです。乙女(おとめ)姉さんが母親代わりで、剣術や学問を手厳しく教えます。身長58寸(約174cm)体重が30貫(約112kg)大柄な女性です。龍馬も同じくらいの身長で、体重はわかっていません。当時男性の平均身長が150cm位ですから大男に間違いありません。
黒船の来航により土佐藩品川下屋敷へ臨時御用につきます。この時19歳、龍馬はペリーの黒船を実際に見る事になります。この頃から自分の船を所有したいと思っていたのかも知れません。これから龍馬は江戸で剣術の修業をし、高知に戻り、いろんな事を勉強していきます。
龍馬は、28歳で沢村惣之丞(長崎の本蓮寺に墓)と共に土佐を脱藩します。その年、勝海舟と面会しますが、世界的な視野の広さに、師と仰ぎ、その場で門下生になます。この時の事を乙女姉さんに手紙を書いています。
2年後の元治元年(1864)亀山社中設立13ヶ月前、幕府の軍艦奉行・勝海舟は、外国艦船の下関攻撃回避するための対策を講じるため、目付・能勢金之助、坂本龍馬、近藤長次郎等、総勢42名を伴い来崎。

勝海舟のお供として、初めて長崎にやって来ます(龍馬は脱藩罪を赦免されていました)龍馬30歳。長崎での滞在は、福済寺(JR長崎駅前にある)です。長崎には江戸時代宿屋が一軒もありませんでした。42日間も滞在しています。見るもの見るものすべてが新鮮だったと思います。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿